自己紹介
2008-12-03
はじめまして、ごろはちです。1961年生まれ、丑年。
男ばっかりの3人兄弟の真ん中。
現在男の子二人とおっかーの4人暮らし。
知らぬ間に、歳とったもんですわ。
ごろはち
いいでしょ?この名前。
なんとなくしっくり来ると思いませんか?
568とも書けます。
おいちょカブでは、ごろんぱのカブとも言ったりしますよね。
でも、本当の名前の由来は、
小さいころに近所にあった、
うどん屋さんの屋号だったりして・・・・
見事なパクリですわ。
へっへへ
どうでもいいことですけどね。
幼少期のごろはち
当時からやんちゃな私は、
そのうどん屋さんの近所でよく遊んでいたらしい。
憶えてない。
そのとき、住んでいたのは、
母方のおばあちゃんファミリーと同居生活、
だったらしい。
これまた憶えてない。
3歳頃まで一緒に住んでいたそうだが、
これまた・・・・です。
その頃のうちの親父は貧乏で、(今もだが)
なにしろ貧乏で金もないから、
住むところもない。
ちょうどいいところに母の実家、
みたいな感じだったようですね。
サザエさんちのマスオさんみたいなものかな?
そこで母親の家族、兄弟たちに可愛がられ、
育った私で、結構恵まれてたんでしょう。
それがいつからか、祖母の家からも離れ、
家族4人での生活が始まったようです。
その頃の私は、やんちゃで、
じっとしてられない性格、
遊びに行けば走りまわり、
親の手を抜け迷子に・・・・
なんていうことは1度や2度では
ありませんでしたね。
ほんと、迷惑をかけたモンです。
おまけに、悪がき、
クソがきでありまして、
父方の祖父のところに、
少しの間、居候したこともあるのですが、
もう、その悪さたるや、
えらいもんでした。
ある日、郵便屋さんが配達にきて、
母と話をしていたとき、
どうもあしをバタバタとじっとしていないそうで・・・
不審に思った母が、郵便屋さんに尋ねると、
「この子が足を踏むんです・・・」
そう、わたしが郵便屋さんの足を、
がっつがっつと踏んでいたそうな。
当然ながら、
憶えてない・・・
祖父の話では、
その頃、家業を営んでいて、
作業中に頭に衝撃が・・・・
ふと見ると、
バットをもったクソがき!
もちろん、そのクソがきは、
私であることは言うまでもない。
兄の友達が来るとバットで追い掛けまわし、
飼っているネコは箱詰めにして閉じ込める。
当然、ネコは私の顔を見ると、
逃げ出す始末。
私が帰ってくる時間が近づくと、
ネコの姿が見えなくなっていたという事実もある。
その仕事の親会社、
○○石綿という大会社の社長が来たときに、
口の中のみかんの皮を社長の頭に投げつけたことも・・・
まだ、こんなことは家の中での出来事。
表の世界でも、縦横無尽に、
やりたい放題やってました。
なんたる悪さ!
ある日、母とバスに乗っていて、
ふと見ると私がいない!
次の瞬間、
バスが急ブレーキ!
すぐさま、運転手の怒声がひびく!
やはり、原因は私でした。
なんでも、バスのチェンジレバーを
勝手に動かしたらしい。
そんなもん、憶えているはずもなく、
今となっては数ある伝説の一つでしかない。
心斎橋を歩くときは、
手を握り締め、振って歩く。
なんのためか?
前から歩いてくるカップルの女の子、
その子のおなかをぶちぬくのだ!
その使命に燃えていた!
これは、いまでも鮮明に覚えている!
突然、しゃがみこむ女の人、
しきりに誤る母の姿。
まあ、えげつないやつでした。
元祖通り魔と若い頃は自称して、
くだらん飲み話しで盛り上がったモンです。
もちろん小学校でも同じこと、
入学して1月も経たずに有名人でしたね。
1年生ですでに女の子のスカートめくりはあたりまえ、
おっぱいまで触って泣かした事もしばしば。
その度に、担任の先生には反省文を書かされる。
そして母親に感想文をと命ずるのであった。
こんなクソがきでも、結構純粋なところもあり、
見せずに隠すということはしなかったのを憶えてますね。
まあ、どつかれまくりでしたけど、
悪さは止められませんでした。
俺は天才?
その小学校低学年時代、
唯一の自慢、未だに自慢なことが一つありますねん。
それはね、学校に小さな池、
直径10メートルぐらいかな?
それがありましてん。
そこにやな、大きなカエルがね、
2匹おりましたんや。
そのカエルを捕まえるのが、
当時の全校生徒の夢みたいなもんでした。
当然、私も狙ってましたね。
そのカエルはいつも同じところに居て、
近づくと池に飛び込んで逃げるんです。
当時、小学校2年の私は考えました。
どないかならんもんかと・・・
実は、私の父は天才ですねん。
これほんまの話し。
その血を受け継いでると、
自分で感心しました。
逃げるなら、逃げた跡に捕まえればいいと。
答えを出すのに時間は掛かりませんでしたね。
みんなは、そっと近づいて捕まえる事しか、
考えておりませんでした。
発想の転換ですね。
いつも同じところにいてて、
近づくと逃げるのなら、逃げたときに捕まえる方法。
簡単なこと、カエルが飛び込む先に、
池にバケツを沈めたんですわ。
ほんなら作戦は見事的中!
あほなカエルはバケツのなかえ・・・
そのまま隠れた気持ちになってました(笑い
2匹のカエルは見事私の手中に!
みんなに見せびらかして、また池に返す。
また捕まえては見せびらかす。
この繰り返し。
「どないして捕まえた?」と質問のあらし、
でも誰にも教えまへんでした。
つまらんことやけど、
学校中でわしだけにしか捕まえられなかった、
人生、唯一の自慢ですわ。
そんな私も、3つの小学校を転々とし、
その度に、悪さも影を潜めていったように思います。
中学、高校と進むだびにおとなしくはなりましたが、
ちょこワルな存在は相変わらずでした。
けど、タバコとか夜遊びとかには走ることなく、
違う事で走ってました。
ごろはちとバイク
そう、バイクです。
もう病気ですね。
両親はえらい反対してましたね。
なんせ、子供の頃があんなんでしたから(笑い
交通事故も、すでに4回ほど経験してました。
耳も半分千切れてかけて、顔や頭にも傷だらけ・・・
そんな私でしたから、
賛成するわけありませんでしたね。
でも、それぐらいでへこたれるほど
軟でもありませんでした。
小学校のころからの夢でしたから。
高校生でお金もないのに、
バイク3台所有。
貧乏生活で文化住宅の
駐輪場を私のバイクで占拠したましたね。
高校を卒業するにあたって
もうじっとしてられません、
バイク関係の仕事に進むことしか
考えてませんでしたから。
それもレース関係の(笑い
当時、三重県の鈴鹿にある、
モリワキレーシングというところが有名でしてね。
学校の就職担当の先生に、
無理を言って願書取り寄せさせたもんです。
なにしろ、他府県の学校から
願書取り寄せは初めてのことだったらしく、
そんな子がもしかしたら全国に居るかもしれない・・・・
この私の行動を機に、
全国展開で募集をかけてしまいおった!
バイク雑誌にまで、募集の広告が!
あかんがな、あんまりたくさん来たら、
あほなわしに通るチャンスがなくなるがな・・・
当然のことながら、
メカ的なこと意外は限りなく0点に近く、
惨敗に終わった事は言うまでもない・・・
このときに、ジェームス・スキナーの無料CDを聴いていれば、
私の人生は違っていたかもしれない・・・
でも、当時のモリワキモンスター、
クロスビー2号車のカウルにもぐりこむ事ができたのは、
一生の思い出となった。
その後、なぜか急速にバイク熱が冷えていった。
といっても燻っていたが正解。
冷めているようでも冷め切らず、
あっという間に燃え上がる状態だったすね。
でも、この理由は簡単、
女である。
女次第で、こうも男は
変わるものである。
もう、毎日いちゃいちゃ、
寝ても起きてもである。
あんまり、変な想像はしないでね。
お願いだから。
普通に就職して、
普通の生活をして過ごしていた。
酒をおぼえ、といっても、
小学生の頃から飲んではいたけど。
ぐうたらライフを過ごしていた。
いろいろな人と出会い、
いろんな恋もした。
そんな生活を
10年少々続けただろうか・・・
ふと、一人になる時間というか、
一人になってしまった。
仲のよかった悪友は田舎に帰り、
恋も終わった時期が重なった。
つまり、一人になったということ、
自由になったということでもある。
へっへっへ、である。
私は少々のことではへこたれない性格。
そこから這い出すのも得意である。
もうお分かりであろう、
唯一、私に残されたもの。
バイクである。
情熱再びである。
いままでもなんだかんだと
バイクには乗りつづけてたので、
ちょこっとは自信もある。
おそらく、家の周りから50メートル以内なら、
俺に勝てるやつなどいないだろう。
100メートルならわからんけど・・・
町内A級ライダー、
ごろはちの誕生の瞬間でもあった。
もう年齢的にレースの表舞台に
立てない事は分かっていた。
ならば別ジャンル、
オンからオフの世界に突入である。
もう一人だから気兼ねはしない、
すき放題に走りまわる日々が続いた。
明けても暮れても、一人で山の中、
マジで帰れるのか?
という経験もしばしば。
でも、ここは大阪、
ほとんどが舗装路ばかり、
オフの世界を探し回っていても、
限界を感じ出していた。
「一人ではどこにも行けないなあ」
何度か死ぬか?と思う場面もあったし。
1日中走り回っても、
舗装路ばかりでオフは見つからない。
誰かと走る、
クラブに入ることも考えたが、
どうも人の枠にはまりたくない。
ならば自分で設立することにした。
最初のクラブは少しいざこざがあり、
私だけ抜け出させてもらったのだが、
どうしても着いてくる者がいたので、
3人で再開。
それからはもう全開でしたね。
年間、50回以上走りにいってましたね。
休みの日は、雨でも風でも、
雪でもバイクで山登りでしたね。
36歳になって、レースデビューもこなしました。
結果はまあまあでしたね。
そして、39歳で引退レース、
最後に優勝、良い思いもさせていただきました。
その当時、クラブに入ってきたのが、
うちのかーちゃん、おっか〜である。
嫁はんですね。
おっか〜も、レース経験者。
なにしろ、初レースで、
バイクから降りていて骨折するという、
すばらしいキャリアの持ち主である。
そのかーちゃんも、
わしの引退レースの時には、
お腹には長男が7ヶ月でおりました。
長男に恵まれ、半年ほど経ったある日、
えっと思うような日がやってまいりました。
その日、私は久しぶりに、
ほんと久しぶりに健康診断なるものを受けたんです。
そして、その結果がでたのですが・・・
「再検査お願いします。」との一言。
それも、大きな病院でやってくださいとのこと。
2週間ほど、調べまくられました。
レントゲン撮りまくり、あっちいって検査、
またこっち行って検査。
それで出た結果が、
原発性胆汁性肝硬変ですねん。
これまた現在の医学では治らない病気、
特定疾患ですわ。
なんじゃそれ?ですね。
いままで、365日酒飲んでたんですけどね。
なーんも悪くなかったのに、
今回の検査では、アウト!でした・・・
酒を飲まなくても肝硬変になる病気、
暴れだすと確実に肝硬変になるそうです。
どうにか薬で抑えてはいますけど、
暴れだすと5年で肝硬変、
そして肝癌へと発展します。
せやさかい、
私の人生は5年刻み。
2ヶ月に1回の検査ごとに、
「あと5年は生きれるわ」こんな生活ですねん。
でも去年から、この病気の合併症、
抗核抗体の上昇が起きてます。
抗核抗体の上昇、
つまり膠原病ですね。
これまた不治の病、
もうどうにでもなれです。
この世に神などはいない!
とほんまに怒鳴りたくなりますね。
信じてはいますけどね。
こんな体ですから、
いつ何があってもおかしくは無い。
でもまだ子供は小さい。
これだけはずーっと、心に引っかかってました。
でも、仕事、病気ともに順調であったのだが、
急に景気は悪くなりだしたのもあり、
将来について、不安も大きくなってきたんですよね。
同じように感じてる方、
いっぱい居られると思います。
せめて、子供達に、なにか残してやりたい・・・
それは仕事でもあり、
財産でもある。
それを探していたときに出会ったのが、
情報商材アフィリエイトだったんです。
サト愛さんの
スローライフアフィリエイトだったんですね。
これしかないかな?と思いましたね。
みんないろいろな理由があって、
この世界に入ってきてると思います。
私のようなちょっと暗い理由の人も、
逆に、贅沢をしたい人、
夢をかなえたい人もいてると思います。
理由はなんでも構わない、
理由なんて個人の問題ですから。
今、私は目の前のある現実と戦ってます。
アフィリエイトとも戦っています。
そして、いまに感謝してます。
アフィリエイトにも感謝してます。
子供たちの将来のために・・・・
それで私は頑張ってます。
もしよろしかったら、こんなごろはちに、
メッセージの一つでも送って、
応援してやってください。
長々とありがとうございました。
ごろはちに連絡してみませんか?
ごろはちに連絡する
ブログコンセプト
偽りのない情報提供。
本物の商材、本物の情報を提供を目指します。
初心者に優しく、甘やかすだけではなく、
初心者を育てるブログでありたい。
ブログアフィリエイト簡単制作、ガバガバ稼ぐ情報比較
浪花のアフィリエイター、ごろはちがお届けしました。
応援よろしくお願いいたします。

ごろはちがお届けする、アフィリエイトマガジン ブログでは書けない情報満載!








